何かさせようと思ったら、一番忙しいやつに任せよ。それが事を的確にすませる方法だ。
●コルシカ島生まれのナポレオンが最初に軍の指揮官として名をあげたのは、ツーロン港攻囲の功績だが(彼はこのとき二十四歳)、小部隊ならいざ知らず大人数の軍隊で、「余は全軍の兵の名を知っている」というわけにはいくまい。おそらく彼の統率、リーダーシップの巧妙さをオーバーな言葉で示したものだろう。
●もっとも、自分の名を知ってもらっているということは、統率される者にとっては最高の励みでもある。兵は指揮官が自分の名前を知ってくれているというだけで奮励するものだ。
●ナポレオンには有名な言葉として「不可能の語は余の辞書にはない」というのがあるが、これは伝説になった言葉で、実は出所不明の言葉である。ただ同じような意味の言葉で、1813年7月9日付のルマロアあての手紙に、「それは不可能だ、というのはフランス語ではない」というくだりがある。
●おそらく、この言葉から「不可能の語は余の辞書にはない」と転化したのだろうが、いずれにしても伝説になるほどだから、ナポレ
オンの統率は見事なもので、彼なら「全軍の兵の名を知っている」と豪語しても納得する一面を人々は感じるわけだ。
●ナポレオンは、たしかに「武力をもって」フランス革命後のフランスの混乱を収拾した。が、当時のフランス社会をみてみると、革
命の主体となった市民・中産層には独力をもって政権を維持できるだけの力はない。
●農民にしても、せっかく革命でやっと入手できた土地を反革命の闘争にまきこまれて失いたくはない。
●彼らがいちばん恐れたのは、社会が再び革命前にかえることであって、その点から、彼らはナポレオンを支持したのだった。
●その庶民感情をたくみに取り上げて、武力を背景に彼らの不安を解消したところに、統率者ナポレオンのすぐれた時代感覚がある。「全軍兵士の名を知っている」その真偽ではなく、心をつかみたい。