心にもない言葉よりも沈黙のほうが、はるかに社交性をそこなわない

●モンテーニュは、日常生活の観察を通して人間性を探求したフランス・モラリストの最初の人。彼の生きた時代はペストと宗教戦争の吹き荒れるさなかで、「わたしは何を知っているか?(ク・セ・ジュ)」を唱えて、自分を含めて人間に対する鋭い反省と人間性の分析を試みた。その考えは『随想録』にまとめられている。

 

●同じモラリストでも、約百年後に活躍したラ・ブリュイエールは、「上手にしゃべるだけの才知も、黙っているための判断もない。----これこそ最大の不幸である」と、同じことをいっても、モンテーニュよりも人間観がずっと辛口である。

 

●ノーベル賞作家、川端康成は編集者と会っても、ギョロリとした目をじっと向けているだけで、一時間も一言も口をきかなかった。われわれは自然な会話が出てこないとき、無理に話題をひねり出して、なんとか会話を保とうとする。その結果、かえって自分の軽薄さや無能ぶりを相手に印象づけることになりかねない。

 

●大多喜藩主(千葉県夷隅郡)松平正信は1658年から88年に至る約三十年間、江戸幕府の奏者番を勤めた。年始や五節句の際、大名、旗本が将軍にお目見えするが、そのとき姓名を奏上し、進物の披露または将軍からの下賜物を伝達する役目である。大目付、目付とともに三役と呼ばれる要職で、譜代大名の役だった。

 

●そのような役柄なので、何かミスがあれば、将軍か大名・旗本の体面に傷がついたり、あるいは両者の間に誤解や恨みが生じかねない。

 

●しかし、松平正信はほぼ三十年という異例の長期間、この職にあってミスもなく、将軍・諸大名らの信任が厚かった。

 

●彼が現役を退いてのち、ある人が奏者番の心得をたずねた。
「一生多言せず」
が答えだった。

 

●徳川家康の右腕、本多正信も、
「多言慮外は身を亡ぼす根太(おしゃべり・無礼は自滅のもと)」
よけいなことをしゃべることによって、信用を失うのである。