家来は四季と同じである。一年に春夏秋冬があるように、家来たちにはそのむきむきがあってよい
●蒲生氏郷は、秀吉が「こちらにおいておけば恐ろしいやつだから、奥州へやるのだ」といったほど、知略縦横、武勇に優れた武将だった。会津百二十万石に封ぜられ、黒川城に住む氏郷のもとには、各地から仕官を望んで訪れる者が絶えなかった。
●氏郷は、そうした侍のうちから、自分の意にかなった個性的な者を、家臣に取り立てた。
●剛勇で武術に優れた者、博識の知恵者、文筆に秀でた者、外交にたけた者、遊芸をたしなむ者、臆病な者など、実に多種多彩であった。
●ある重臣が進言におよんだことがある。
「武門でございますから、武勇に秀でた者たちをお召しかかえになら
れましてはいかがでございましょう」
●すると氏郷は、タイトルの言葉を返した。
●人を春夏秋冬にたとえ、適所に配する知恵と、人間的な温かさのあった氏郷は、名君の誉れにたがわない人物であった。
●このような名君のもとだからこそ、一人一人の家臣は、個性や性格を存分に発揮し、能力を最大限に伸ばして働くことができたのである。
●九州征伐のとき、家臣の西村左馬之允が、軍令を破って抜け駆けの功名をたてた。氏郷は怒って左馬之允を追放した。その後、左馬之允は細川忠興の口添えで帰参を願い出たので氏郷は許し、もとの禄を与えた。
●翌日、氏郷は左馬之允と相撲を取った。左馬之允は、わざと負けて軽薄者、へつらい者といわれるよりは、むしろ力いっぱい戦って勝ち、ご機嫌を損ねたほうがよい、と覚悟を決め、二度、立ち合って二度とも勝った。
●「そのほうの力は、わしよりはるかに強い」
氏郷は快く笑って、翌日、さらに加増した。
●氏郷は左馬之允のうそのない心をうれしく思い、家臣に剛力の物がいるのを喜んだ。さわやかな名将ぶりである。