人の世話を焼くからには、先の先まで見とどけてやらねば仏作って魂入れずと申すもの
●徳川家康の九男に生まれ、大坂の陣で戦功を立て、尾張徳川家の祖となった義直は、儒学を奨励し、『類聚日本紀』などの編纂にあたった学問好きの名君でもあった。
●義直は、渋谷弥太夫を奥づとめの番役にして、政務とは関係のない私的な仕事をさせていたが、どうも適任とは思えなかった。無骨者で機転が利かないうえに口下手なので、たえず奥女中のあざけりを受けていた。また、本人には悪意がないのに、彼女たちを怒らせてしまうこともあった。
(事のないうちに外へ出そう)
●義直は、弥太夫を奥づとめから、表役所へ配転させた。別に落ち度があったわけではなく、適所へ配したにすぎないのだが、誰
もが左遷されたものと思い込んでいた。
●正直一途で口下手な弥太夫は、弁解できないまま、悩みながら黙々とつとめていたが、仕事は怠ることなく、人一倍励んだものである。やがて義直は、弥太夫を御書院小頭に配転させた。当人は大喜びである。書物相手の仕事なら、性に合っている、と思った。こんどは、誰も左遷とはみなさない。
●後日、義直は、この一件にふれ、重役たちを諭した。
「家臣を苦手とする役につけておいて、事が起きてから処置するようなことでは遅い。上司は部下の適材適所を誤らないことが大
事である」
●重役が質問をした。
「弥太夫を奥づとめから表にお出しになるとき、なぜ落ち度はないむねお告げあそばされませんでした。そうなされば、当人もまわりのものも左遷とは思わなかったでしょう」
●「そこが肝心なのだ。わしとて告げてやりたかった。が、弥太夫の働きぶりを見るために控えた。表に出しただけでは、厄介ばらいをしたにすぎない」
●このあとにタイトルの言葉がつづく。
義直の名君ぶりがうかがえる部下の処遇のしかたである。