経営者は造園師のようなものだ
●「私は、造園美の極致が『一律ならず乱雑ならず、変化があって、しかも統一がある』ことを知って、これこそ事業経営の要諦であると思ったことがある」
●一律ではないが、乱雑でもなく、変化があって、しかも統一のある事業経営を心がける、その面白さを石橋正二郎は説いているのである。
●着眼力のすばらしさで事業を大きくしてきた、この人物らしい表現だ。石橋正二郎の久留米の生家は足袋の製造をやっていたが、彼が久留米商業を卒業して家業を継いだ明治の末期から大正にかけては、日本人の和服姿はどんどん少なくなり、足袋の需要も減ってきた時期である。
●それをおぎなったのが「地下足袋」製造への転換である。「足袋の底をゴム底にして、作業に適した足袋を作れば必ず売れる」という着眼から始めた「地下足袋」の発明は、働く日本人の生活、服装をも変えるほどの大当たりとなった。
●これが大正十二年、関東大震災の年である。アサヒ地下足袋の名はたちまち有名になって、全国に販路が拡がった。しかし、世界大戦後の不況がくると、得意先が倒産したりして、彼の苦闘は続く。
●この苦境を乗り越え、事業を拡大できたのは、ゴム業界といち早く提携していた彼の先見力に負うところが大である。
●昭和に入ると、石橋の事業はゴム業界から自動車タイヤの製造にまで進出し、軍需景気とも絡み合って国家的なスケールにまで成長するのだが、ここでも彼の先を見る目と創意が光っている。
●「企業家は造園師のようなものだ」という言葉は、いいかえるなら石橋正二郎自身の自己表現でもある。自分自身を造園師にみたてて、一本の木、一つの石を自由に動かして見事な庭を作る庭師のように事業を組み立て、大きくした自分の生涯を顧みて語っている言葉であるといってよいだろう。
●財閥を作りあげた彼が東西の美術品を収集して美術館を開いたのも、これもまた彼一流の自己表現である。彼は着眼のすばらしさを教えてくれる人物だ。