大業を成し遂げようと思ったら年が老いても青年でなければならない

●七十歳を過ぎてもなお恋をしていたといわれるゲーテらしい言葉だが、いつでも、どこでも通用するものだ。

 

●戦国時代の武将の多くは、水泳と騎馬を体力づくりの基本にしていた。織田信長は、少年時代から毎日欠かさず馬の訓練をし、毎年、春先から秋口にかけて川に入って水泳に励み、鷹狩を好んだ。

 

●徳川家康も、若いころから水泳を好み、老年になるまで続けた。六十九歳の高齢にあって、なお遊泳を楽しんだという。

 

●「天下の主とはいっても、常々から練熟しなければかなえられないことがある。騎馬と水泳、この二つは、人に代わらせることのできない技である」

 

●この二つの技を磨くことが、家康にまたとない健康管理になっていた。家康の騎馬の技は、平時において鷹狩に発揮された。家康は生まれついての鷹狩好きだった。家康は鷹狩の殺生の意義をこう述べている。

 

●「筋骨を働かせることによって手足を勁捷にし、風寒炎暑をもかまわず奔走することにより、おのずから病などが生ずるのを防ぐものだ。そのうえ、朝早く起きるので、宿食を消化し、朝食もいっそうおいしくなる。また、夜中になれば、一日の疲れが出て快く眠れるから、自然に閨房にも遠ざかる」

 

●さらに家康は、鷹狩の効用を部下の体力づくりにもなるとしている。
「戦がないからといって、上下ともに体を働かせないでぶらぶらしていては、手足が衰え、自然、緊急の用にたたなくなってしまう。そこで、鷹狩や鹿狩りをして、上下とも日ごろから体を慣らしておくべきだ。乗り物を使わないで歩き、山や坂を越え、川を渡るなどして、さまざまに体を働かせ、堅固に鍛えるためのものである」

 

●さらに家康は、鷹狩は家来たちの体の剛弱の様子を知るうえでも大いに役立つとしている。

 

●家康が、老年になって、天下をわが手にする大業を成し遂げえたのも、心身を養い続けたたまものであった。