機会が二度君のドアをノックすると考えるな

●シャンホールは、ウィットにあふれた簡潔な文章で、多くの人々に示唆を与えた。タイトルの言葉もその中のひとつで、機会をつかむことの大切さを諭したものである。

 

●好機にめぐりあっても、それをつかんで活かさなければ、成功することはできない。好機というものは、そう何度もめぐってくるものではないのだ。

 

●フランスのことわざに、「機会が人を見捨てるよりも、人が機会を見捨てるほうが多い」というのがある。いいえて妙である。

 

●日本では、好機に恵まれず、才能、人物にふさわしい地位、境遇を得ていないことを「不遇」という言葉で言い表すが、不遇をかこっている人は、一度、真実そうなのか、弁解にすぎないのか、得と考えてみることだ。

 

●羽柴秀吉は、日本歴史を変えるほどの「異変」を見事に活かしきって、天下取りへの道を突っ走った。

 

●天正八(1580)年六月三日、秀吉は、中国方面攻撃の軍団長として、備中高松城を水攻めにしていた。その夜秀吉は、織田信長が本能寺において明智光秀の軍勢の襲撃を受け、落命したとの変報に接した。

 

●秀吉は時を移さず、毛利方に異変を気づかせないようにして高松城の問題を処理し、毛利方と和議を結んで、光秀討伐に軍を急がせた。世に「中国大返し」といわれるほどの鮮やかな軍事行動だった。

 

●姫路の居城に着いた秀吉は、城中の金と米のすべてをさらって将兵に分け与えた。この軍団への大盤振る舞いからも、秀吉が千歳一遇の好機に奮い立って、すべてを賭けたことがわかる。

 

●十三日、秀吉の軍勢は、山崎に迫って明智軍を包囲し、破った。

 

●こうして、秀吉は好機を見捨てることなく、覇王への道に馬を進めることになる。織田系軍団第一の大将、柴田勝家にとっても、同じく好機であったが、勝家は出遅れた。好機に接したときの決断と行動が二人の明暗を分けたといってよい。