世界を動かさんと欲するものは、まず自ら動くべし

●古代アテネの哲学者ソクラテスは、よく街頭に立っては人々と談話する、独特の『対話法』によって、市民に善良な公民としての道徳的教養を教えた。

 

●人々が持っている知識がいかに浅いものであるかを反省させ、真実の知識に到達させようとしたわけだ。
「人(世界)を動かそうとするなら、まず自分が動きなさい」
とソクラテスは教える。

 

●また、
「人は食べるために生きるが、私は生きるために食べる」
という言葉もある。彼は従軍中にも、いつも裸足でときには一晩中戸外で瞑想にふけったといわれる。「生きる」ということが、ソクラテスの哲学のテーマであったわけだ。

 

●ところで紀元前5世紀ごろのアテネには、ソフィストと呼ばれる市民のために弁論術や修辞学を教えるプロの教師が生まれていたが、彼らはたいていは詭弁つまり論争のための論争術を教えるだけになっていた。いきつくところ、彼らが自分たちの支えにしたのは各個人の知恵であり、社会の道徳、法律、宗教などを軽んじるようになってしまった。

 

●ソクラテスは、アテネの青年たちにソフィストが多くなるのを心配した。そこで街頭に立って、青年たちに話しかけることを始めるのだ。
「汝、みずからを知れ」
と、彼らに呼びかけて、生きることへの哲学を説いた。道徳的な『善』は、国家、法律、道徳につながってくる。

 

●ところが、こんなソクラテスが「彼は神を汚した」として罪に問われるのである。最後には死刑を宣告されるのだが、ソクラテスは、
「私は国法の規定にしたがう」
と、毒杯をあおって死んでいる。誤った裁きであっても、法が命ずるのならそれに従うというソクラテス流の考え方である。

 

●彼は著作を残さなかったので弟子のプラトンの『イデア論』によって、彼の思想や行動は残されている。