事業はすべて人間が基礎である
●出光興産はわが国の石油業界の中にあって民族資本を誇るユニークな石油精製・販売会社である。そして、その創業者である出光佐三も大変ユニークな経営者である。彼は、
「マルクスが日本に生まれていたなら、私のようになっただろう。」
と、標榜する。出光の経営は定年なし、首切りなし、出勤簿なし、就業規則なし、労組なし、残業なしなど、「七不思議経営」といわれる。
●彼は自分を社長とも会長とも呼ばせず「店主」といわせた。 出光興産は1940(昭和十五)年、事業拡大を図るには個人会社というわけにもいかず、株式会社にした。第二次大戦中は過少資本ながら事業の拡大を図り、多くの社員が外地に出て行った。
●昭和二十年、日本が戦争に負けると、出光は外地にあった資産をすべて失ったうえ、国内に二百五、六十万円の借金が残った。
●その一方で、朝鮮や中国、台湾などから社員がぞくぞく帰ってきた。その総数は千人ほどにもなった。
●会社再建の道を求めて重役会が開かれた。そして、重役会は社員全員をやめさせ、そのうちから再建に必要な人材を何人かとるという結論を出光店主に持ってきた。
●「それは絶対いかん。社員のクビは切らないという主義だから。こういうときこそ守らなければだめだ」
出光は外地で辛苦をなめてきた人こそ、将来必ず成すことのある人であると信じて、断固首切りを許さなかった。
●そして、なにしろ油が入らないので、海軍の使っていたタンクの底のドロみたいな油をくみ出したり、まったく石油業とは別の電気
の修繕のようなことを出光もいっしょになってやり、戦後のいちばん苦しい時期をしのいだ。
●従業員七千人を越える大企業となっても、出光は「店主」として末端の若い社員と昼食を共にするのを楽しみにしていた。