家老ども方へ出入りせぬ者どもの中に、よき者あるべきぞ

●人材を確保するにあたって人物鑑定の一つの目安をといたもので、家老などのところへ出入りしてゴマすりや自分の売り込みをしているようなのはダメである。むしろ家老などには寄り付かずにいる者の中に気骨、器量のすぐれた者がいるという。『岩淵夜話別集』にある徳川家康の言葉である。

 

●あるとき、浪人が武田家へ仕官を願って訪れた。
「それがし比田武右衛門と申す。さしたる功名手柄は一つとしてなく、むしろ不得手なことがあれこれござる」
と、まるで盛り上がらないことばかりいう。

 

●「それでは重役に推挙することもかなわぬ」
と、受付係の者は武右衛門にお引き取り願ったところ、
「人の値打ちは見た目や耳で聞いただけではわからぬもの。さればこそ、短所ばかりを申したのに、あなたにはそれもわからぬとは、武田家には人を見定める目利きがいないと見える」

 

●武右衛門は大声で悪口を投げつけた。係りの者は仕方なく上役に取りつぐと、上役は信玄に一部始終を話して直接判断を仰いだ。
「おのれの短所をあげて仕官をのぞむとは、妙な男である。変わった奴が一人、二人いてもよかろう」

 

●この武右衛門、偏屈で名高かったが、「鬼武右衛門」とよばれ、戦場での活躍はめざましかった。

 

●本田技研工業の創業者、本田宗一郎は入社試験の担当重役に、「きみが手におえないと思う青年を、採用してみてはどうかね」
と、提案した。

 

●試験官の守備範囲におさまるような学生は、いくら伸びても試験官とあまり変わらないレベル程度であろう。試験官がまったく箸にも棒にもかからないと思った者が、思いもよらない人材に育つかもしれないというわけである。口あたりのよくない者の中に人材が隠れていることがよくあるのである。