尽く書を信ずれば、則ち書なきに如かず
●『書経』に書かれていることをなんでもみな信じるようでは、むしろ『書経』はないほうがよい、という意味である。
●『書経』は、もともと夏、殷、商の史官によって書かれたもの。三千余篇あったが、孔子がそれを百篇にまとめたといわれている。現存の『書経』は五十八篇。中国古代の歴史を知る上で重要な古
典で、多くの格言が含まれている。五経の一で、漢代までは『尚書』と呼ばれ、宋以降になって『書経』といわれるようになった。
●タイトルの言葉は、もともとは孟子が『書経』に限定していったものだが、今では一般の読書についていわれる訓言となっている。
●現代社会では、「書」を「情報」にいい換えると意味がはっきりする。今の世の中は情報過多の時代である。われわれの日常は数限りない情報にとりかこまれている。
●仮に企業が一つの営業キャンペーンを始めようとすれば、そのプロモーターの耳や目には、ものすごい量の情報が入るに違いない。
●Aからの情報では、このキャンペーンはすでに他者が去年やって成功しているから、二番煎じである。
●Bからの情報では、このキャンペーンを実施するのに、経済環境やマーケットの趨勢はマイナスとなっている。
●Cからの情報では、このキャンペーンは独創的で、今やるのはタイミングがよい‥‥などなど。
●以下同様に多くの異なる情報が毎日よせられるかもしれない。そのどれが真実でどれがガセネタかを判断するのが、リーダーたる者の力量である。この場合、もしリーダーがすべての情報や資料を
信ずれば、ふりまわされて右往左往し、頭が混乱するだけである。
●情報は多ければ多いほどよい。ただし、最後にその是非を判断するのは、人間の英知であることを、忘れてはならない。